
仲村氏の同書「サバチバシ」の項には、およそ次のようなことが書かれている。
謝名堂、比嘉、真我里、3つの集落の後方はかつて沼地が多く、排水不良で、農作物に与える被害が多く、農民を悩ませていた。そこで農民は、力を合わせて、集落前方へ排水溝を設けることにした。サバチ橋が架かっている場所も、村人たちが協力して大きな水捌(さば)きの場所を作ったことに因んでサバチと称され、その水捌きの上に架けられた橋ということでこの橋をサバチバシと呼んだのであろう。サバチ橋の欄干には「山中橋」ときざまれている。これは昭和45年6月、山中総務長官一行が久米島視察に来島したことに因んで命名されたようである。しかし、ここは本来サバチバシであり、古えより呼び続けられた名前こそ、地域の人々には馴染深いものである。云々。
なるほど、たとえば、昨年(2005年)小池沖縄担当大臣が日帰りで久米島視察にみえたが、今建設中の島尻へ行く道、銭田川にかかる新しい橋が完成したとき、「小池橋」とでも名付けるようなことと同じ事由か。山中さんが、自分の名前を橋に付けなさいと言ったのか、それとも、行政のほうで、彼の功績を称えて、「つけさせていただいた」のか、その経緯は、当時の行政記録を見ればわかるであろう。もしもそれが残されていればの話だが。

もし、山中さんが久米島に多大な功績を残したというのなら、顕彰碑でもたてて、橋の名改名の次第を書き連ねるべきだし、そうでなく、単にご機嫌取りのものであったとしたら(そんなことはないと思うが)直ちに、元の名前に戻すべきであろう。島の地勢と、島民の汗と工夫の結晶が、地名・橋の名として残ってきたのだが、それが政治上の理由で、ころっと変わってしまったとしたら、とても悲しい気がする。本当はそうではないのよという話を、誰か教えてくれませんか。

小さな橋一つにも、島の歴史が凝縮されている。「サバチ橋」の名前を覚えている方々が健在のうちに、もとの名前にもどし、なぜ「サバチ橋」というかの説明版を設置する、そうすることが、若い人たち、子供達に郷土の成り立ちを教え、郷土を愛する気持ちを育てることになるのではないだろうか。
付記
『久米島町議会だより』のバックナンバーを見ていたら、平成14年(2002年)12月定例会(12月16日)において、仲原健議員から、「山中橋」を元の「さばち橋」に戻すべきだと思うという内容の質問がなされ、それに対して、高里町長が、「さばち橋」として歴史に残るような橋であれば、関係機関と協議しながら検討していきたい、と答弁している(久米島町議会だより第3号2003.4.1)。
それから3年間の間に、関係機関と協議してきて、現在の状況に至ったものと思うが、この間の協議記録を見てみたい気がする。

