
この道は、島の他の道とはその趣きを大きく異にしている。今はサトウキビ畑になっているが、昔は水田であったことがすぐ分かる階段状になった畑地を、突っ切るように島の中央に向かって、蛇行しながら延びている。途中、ショーキズイセンやヒカンザクラの咲く旧米軍滑走路を直進し、だるま山園地からは、両側から覆いかぶさる木々のトンネルの中を、ほどよく右左のカーブを切りながら高度をかせいでいく。

車が一台すれ違うことができるほどのアスファルト舗装道であるが、その両側には、広い所で2mくらいのたっぷりとした草地があり、どんなに激しい雨が降ってもその水を引き受けられそうな大きなV字型の側溝が造られている。
当時は、コンクリート製U字型側溝なんてなかったからこういうV字側溝を造ったのだと思うが、今にして思えば、これくらい自然に配慮したものはないだろう。この溝に落ち込んだ小さな生き物たちも、ちょっと頑張れば自力でよじのぼることができる位の傾斜だ。この側溝をよく見ると、道の登り始めからしばらくの間は、改修されたときに替えられたと思われる30cm平方のコンクリート製の平板が使われているが、だるま山園地の前あたりからは、安山岩(一部サンゴ石)の平たい石を並べて造られている。こんなに多量の平たい石がどこにあったのか。どこから持ってきたのだろうか。
この道が造られた当時、1951年から52年に基地に勤務していたジョン・エバートンさんは、宇江城山頂から大量の石を運び出し、クラッシャー(砕石機)で砕いて、道路を造るのに使ったと、メールで教えてくれた。工事中、長雨が続いて、ブルトーザーの座席を越えるような水がたまり、1週間くらい作業が中止したことを、鮮明に覚えているという。つまり、宇江城城址の石垣の石が、道路の基礎部分に使われ、一部が、平石のまま、側溝にも使われたと考えられる。宇江城城址の石垣を崩して基地の建設に使ったという話は、他からも聞いたことがある。宇江城城址が、手つかずの状態で残されていたなら、復元作業は、もっと簡単にもっと早く進められていたことだろう。残念なことである。

それはともかく、久米島をドライブするとき、この道は、島の自然の奥深さを満喫できるもっとも気持ちのよい道の一つだ。今は、自衛隊のゲートで通行止めとなっているが、宇江城城址とつなぐことができたら、ただ通過するだけの「道」ではなく、それ自体を楽しむ良い観光道路になるに違いない。1972年の復帰の時、基地は米軍から自衛隊に移管されたが、その際、道1本をフェンスの外に残すことができたら良かったなあと思う。まあ、当時の(現在も同じ)沖縄が置かれた状況を考えると、全く実現性のない話だと思うけれど。
憲法が改変されて、「自衛隊」が「自衛軍」になったとき、この道はまた「軍道」と呼ばれるようになるのだろうか。そんな日が、あれよあれよという間にきてしまうような気がする。

