そういう名前のリーフが、かつて久米島にあった。30年ほど前に久米島に来たとき、島の人たちは、そのように呼ぶように努力していた。年配の方々ならば、「そう呼んだことがあったかもしれない」と思い出すかも知れない。当時の新聞には次のようにある。
『久米島の東奥武先に広がる広大なリーフと砂丘ー。久米島一の景観を誇りながらこれまでこの砂丘には呼び名がなかったが、さる28日、仲里村イーフビーチで、久米島観光協会(山元暁会長)の主催で命名式が行われ「スカイホリデー・リーフ」と命名された。
(中略)この観光振興計画には全日空も全面協力する意向で、命名されたリーフ名も全日空の「スカイホリデー」旅行にちなんだもの。(後略)』(昭和51年7月6日 琉球新報)
同記事の末尾は『久米島の昨年の観光客は約12,000人。うち本土観光客は1割の約1,200人−という状況から、地元の期待はかなり大きい。』と結ばれ、これをきっかけに久米島の観光地化が促進された。全日空が大々的に宣伝活動を展開したこともあり、観光客は大幅に増えはじめ、10年後リゾートホテル久米アイランドが開業する昭和61年ころには、約8万人となる。だが、この新聞記事はちょっとおかしい。
仲村昌尚氏の『久米島の地名と民俗』を見ると、確かに、イチュンザからウガン崎まで、長さ約10kmのリーフ(珊瑚礁)には、個々特定の場所の名称はあるものの、全体としての呼称はなく、ただ「リーフ」としている。しかし、その南側にある、砂が堆積した砂洲には、西の浜、中の浜、ウーユニ、ヘーヌ浜、ハテの浜などという呼称があり、それ以前から島の人たちは、そのように呼んでいたし、そのように聞いたことがある。
あのときの命名は、あの一帯のリーフや砂洲などを総称して「スカイホリデーリーフ」としたのか、それとも、リーフ部分のみをそう呼ぶようにしたのか定かではないが、古くから言い伝えられてきた地名をなかったことにしてまで、観光振興のために努力する人たちの、涙ぐましい努力には脱帽する思いである。
しかし、地名は、先人が残してくれた立派な遺産であり、目には見えないけれど貴重な文化財である。名前のないところに新しい名称を付ける場合は、さほど問題もないと思うが、昔からある地名や橋の名を、その時々の事情で改変する場合には、後々のことまで考えてからにしたほうが良いであろう。巨大資本の力を借りて、島を全国的に有名にすることは一策であるかもしれないが、それによって失われるかもしれない何かについても思いを巡らす必要がある。
幸か不幸か、今日、あの一帯のことを、誰も「スカイホリデー・リーフ」とは呼ばず、昔ながらの名称「ハテの浜」と呼んでいる。そしてそこは、久米島でも観光の一番の目玉となっている。(文中の琉球新報の記事は、『仲里村史第5巻「新聞集成」』による。)

