「思ったより広いですね」と言われることがよくある。私は得意げに、「そうですよ。
私は、久米島大陸と呼んでいます。」と答える。
周囲54kmの離島を、大陸と称するのは、オオゲサなと思われるかも知れないが、
大きい小さいは、個人の感覚の相違、私は「デカイ!」と感じる。
しかし、感覚だけではなく、実際に久米島は大陸である(であった)のだ。
<日本では久米島にしかいない水棲のヘビ、キクザトサワヘビが、中国やフィリピンな
どの山岳部にも飛び石状に生息していることが、昔、中国と陸続きであったことの生き
証人である>などと書かれた書物を読んだときは、さほど感銘は受けなかったが、知人
と、儀間集落の北方の山間に入り、儀間池近くの切り取られた地層の中から、大小ウズ
ラの卵ほどの丸い石をたくさん見つけた時には、こりゃ何だ?と思った。近くに大きな
川もない島の山間部から、大河の河口近くで見られる玉砂利のような石が、ぽろぽろ出
てくるのだ。久米島で最大の川、白瀬川は、全長5.3km、石のかどを摩耗させてこ
のような丸い石を作るほどの長さも流速もない。これらの石は、どうやってできたのか、
彼の説明によると、かつて久米島は沖縄の他の諸島と一緒に中国大陸と陸続きであったが、何度かの浮沈を繰り返して、現在のような島となった。
これらの石(チャートと言う)は、数百万年前、大陸と繋がっていたころ、大きな河が
流れていた証拠だという。

昔、このあたりを河口近くとする大河があっとすると、その河は、何という河である
か。地図を拡げて北西に指をずらしていくと、その線は、長江(いわゆる揚子江)につ
ながる。そうか、東シナ海がかつて陸地であった時、長江は、上海を河口とするのでは
なく、さらに流れて久米島を通り、南西諸島の東側で、太平洋に注ぎ込んでいたという
ことか。久米島を含む南西諸島は、ユーラシア大陸の東端の一部であったのだ。
この小さな丸っこい石をいくつかポケットに入れたとき、大陸を自分の手中に収めた
ような感じになり、気持ちはとてつもなく大きくなった。
私の「久米島大陸」発見の瞬間!
久米島に移り住んでから、4年半ほど過ぎた。カメラやスケッチブックを片手に、暇
さえあれば、あちこち出歩いているのだが、いまだ足を踏み入れていない場所や道がたくさんある。この先、どれくらいこの大陸を探検することが出来るか知らないが、ここで
展開するさまざまな出来事や様子などを、心のおもむくまま、記してみよう。

